山内ブログ

(´ρ`)

離婚。代償。そして決意。

今日、一週間ぶりに息子達に会った。


家に入ると、無邪気に喜んで出迎えてくれて

元気で良かったと、一度ホッとした。

ただその後ご飯を食べに行って、動物園に行ったんだけど
5歳の上の子はやっぱりどこか元気がなくて
急に黙り込んだり、悲しい顔をしていた。

動物園の中にある、あひるボート。

帰る時に乗りたがっていたけど
閉園時間になって既に締め切られていて乗せてあげられなかった。
上の子は泣きながらグズった。
僕は諭そうともせず、叱ることもせず
ただ泣いている息子の頭を撫でた。
息子はきっと、あひるボートに乗れなかったことに対してぐずっている訳ではないと思ったから。
きっと寂しいから。
少しでも甘えたかったんだ。




帰りの途中で子供達は寝てしまい
家に着いた後、簡単にご飯を作って子供達を起こした。
眠い目を擦りながら、黙って少しずつ食べ始める。

「明日起きたら、パパはいるの?」

急に聞かれて、僕は何も言えなかった。
上手い言葉がでてこなかった。


息子は静かにポロポロ泣きながら言った。

どこにも行かないで。
ずっと一緒にいてほしいよ。
3人家族は嫌だよ。
家族4人で暮らしたいよ。


上の子はもう理解していたんだ。
今までの家族生活が終わろうとしていることを。

今までの癇癪的な泣き方とは明らかに違い、僕の胸の中で静かに、大粒の涙を流して泣いていた。


どれほど悲しい思いをさせたんだろう
どれほど苦しかったんだろう
どれほど傷つけてしまったんだろう


僕も泣くのを我慢できなかったけど
思いっきり抱きしめて、出来るだけ安心できるよう語りかけた。

下の3歳の息子はまだよく分かっていないようで、泣いている兄を心配そうに見ていた。


そして、帰る時間がきた。

子供達に気づかれないうちに、こっそり家を出ようとしたら
嫁から「泣いて嫌がるかもしれないけど、ちゃんと言ってあげたら」と言われ
息子に帰ることを告げた。

息子はうんと頷いて
「○○(息子)とパパはいつもハートで繋がってるんだよね」

僕はニッコリ頷いて、家を出た。



僕は耐えきれずに車の中でしばらく泣きじゃくっていた。

上の子は普段こんなに聞き分けのいいタイプではない。
完全に無理をしていた。
まだ5歳の子供が。


僕は一生償わなければいけないと思った。

もう一緒には暮らせなくなるけれど
これから何かあった時は
息子が自分を必要とした時は
真っ先に会いに行って助ける。

何があっても愛し続ける。

そして一番は
僕自身が絶対に幸せであろうと決めた。
虚しく罪悪感に満ちた人生を送るのではなく
しっかり自分の道を堂々と歩んで
そんな姿を見せて、伝えていくとこが
息子達への一番の償いになると思ってる。


息子達が大人になって

一緒に酒を交わす時も

バカな夢を

本気で楽しく語り合えたらいいな。

大丈夫君

あなたの悩みというのは

あなたの不安というのは

あなたの恐怖というのは

あなたの置かれている状況に関わらず


あなた自身が自分自身で作り上げたものです。

そんなこと言っても

そこには確かに自分を否定する人がいて

自分を攻撃する人がいて

何もできない自分がいる現実が

そこにあるのかもしれない。

でもその現実こそが、あなただけの現実であり。

あなたの信じている価値観、道徳観、世界観というフィルターが作り出した思考の世界です。


ただ、それを頭で分かったところで

今まで染み付いたものだから

簡単には変わらないよ。

嫌な事があれば凹むし

愛する人と離れ離れになれば悲しいし苦しい

自分を否定されて怒りだって沸くよね。

僕もそうです。

むしろめちゃくちゃ振り回される。


そんな時に僕が意識しているのは

僕のすぐ隣に

【大丈夫君】を作り出すこと。

大丈夫君は僕と全く同じ姿をしていて

恐れや不安がぶぁーっと溢れ出た時
他人に否定されまくった時
自分の殻にこもりそうな時に

こう和かに語りかけてくれる。

「あなたは大丈夫だよ」
「よく頑張ったよ」
「安心するんだよ」

これは現実逃避ではなくて
思考が勝手に作り出した現実から
目を覚ましてねっていうサインなんだ。

苦しくて苦しくてしょうがない時に
目の前に写っている風景を写真に撮ってみて
時間が経って大丈夫になったときに見返してみな。

それは大丈夫なんだよ。

大丈夫。

苦しみの果てには

苦しい時ってある。


苦しくて苦しくてどうしようもなくて

怖くて怖くてどうしようもなくて

どんどん行動力もなくなって

なんの意欲もなくなって

胸に変な重苦しい感覚だけが常に突き刺さり

ただ恐れだけが残る。


「あの人にこんな風に思われる」

「社会的にありえない」

「世間から見放される」

「誰も見方がいなくなる」


そして最後には

自ら命を絶ちたいとさえ考える。


でもやっぱり死ぬのは怖いし

死んだ後に残す人達のことだって考えてしまう

自分が死んだ後のことまで、

「自分が他人にどう思われるか」なんて考える。


マジで、いつまで【いい人】やってんだ。


嫌われたくないからだよね。

責められたくないからだよね。


「苦しみ」ってどこからくるんだろう。

それは、
自分以外の
誰かを生きているからじゃないかな。

 

自分本来の感性
自分本来の衝動
自分本来の姿は

 

他人の目、社会の目で
無意識的にかき消されてしまい
思い出せなくなる。
本来それは実態のないものなのに。

 

そしてそこからはみ出てしまったり
もしくは、抜けだそうとすると。
とてつもない苦しみが押し寄せる。

 

こびりついてるから。
洗脳されてるから。
それを外すというのは
それはもう自殺をするくらいのもんなんじゃないかな。

 

今までこの社会を生きてきて
積み上げてきた自分を
ぶっころしてやる。

 

それくらいのこと。

 

生半可のことじゃない。

 

他人というマトリックスから目覚めて

 

初めて自分の感覚を取り戻す。

 

自分を生きだすんだ。


そしてこれは全部

自分に向けて書いていること。

自分の思い、知ってる?

みんなは自分の思いを知っているでしょうか。

 
仕事としてのやりたいこと
だけではなく
 
日々色んな問題や決断に迫られる時などがあると思います。
 
 
そんな時
 
自分はどうしたいのか
 
何をすべきなのか
 
自分にとって何が一番大事なのか
 
分かりますか?
 
 
自分の感情を正確にキャッチできますか?
 
 
正しいとか、間違ってるとか
そんな世間基準、他人基準じゃなくて
 
 
自分の【基準】を持っていますか?
 
 
 
 自分の胸の内を感じてみてください。
 
一回考えるのやめて。
 
自然に湧き上がってくる想いを感じ取ってみてください。
 
 
僕は日々迷ってばかりで
自分がどうしたいのかよくわからなくなります。
そんな時にはもう考えるのを止めます。
止まらなければ寝ます。
朝起きても苦しければ、そのままあがきます。
そして気づいたら楽になっています。
 
でもそんなことを繰り返すわけです。
 
なんでだろうなー
 
きっと悩みたいんだろうなー
 
暇なんだろうなー俺(笑)
 
浅いなーまじで。
 
 
まあゆるーくいきましょう。
今日はちょっと疲れました。
 
ゆるい歌きいて、寝ます。
 
「WHEN YOU CLOSE YOUR EYES」

非日常を感じる

先週末、トヨロックフェス2015に参戦してきました。
参加費無料のフリーフェス。

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※写真は原田茶飯事(ソロ)

2daysの内、初日はボランティアスタッフとして。2日目は家族でのんびり参加。
フェス自体は3回目ですが、久しぶりに野外フェスの自由な空気感を感じられました。

やっぱ夏フェスサイコー!!

今日のエントリータイトル
非日常を感じるということについて。

ロックフェスに参加したことがある方ならお分かりかと思いますが、あの空間はまさに【非日常】です。
フジロックみたいな大規模な野外フェスは特に。

野外にテントはって、朝起きたらまず酒を飲み(笑)、好きなミュージシャンのライブを楽しみ、また普段聞かないジャンルの音楽に触れ新しい発見があったり、いろんなフェス飯(屋台)を食べ歩き、川で遊んだり、大道芸を見たり……

楽しみ方は腐るほどあります。

そしていろんな人がいる。
人種もファッションも様々だし、観客の後ろの方で音楽に入り込んで変なダンス踊ってる人もいる(笑)

まさに日常普通にサラリーマンや主婦やってる人にとっては異空間。


日常がなんとなく過ぎていくのがめちゃくちゃ嫌けど
自分の好きなこと、やりたいことが分からない
でも何から変えればいいか分からないし動けない

こういう人、物凄く多いと思います。

そしてこういう人こそ日常に飲まれている。
親、学校、会社等の今までの環境や教育、人生経験の中で洗脳された常識でしか世の中を見ることができなくなっている。

個人的に思うことですが
自分の人生を生きている人というのは
世の中を様々な角度から、様々な視点から俯瞰して見る事ができていると感じます。

そしてその中で
自分に好きなもの
自分に合うもの
を選んでいるという感覚。

そんな感じ、しませんか?


そして色んなものの見方ができるようになるために
効果的な方法の一つが、その人にとって
【非日常を体験する】
事だと思っています。

なんでもいいと思います。

興味のある習い事の1日体験にいってみるとか
普段見ないジャンルの映画を見てみるとか
真面目な女性であれば、一回ホストクラブに行ってみるとか
発展途上国に旅行してみるとか
今回例に挙げたロックフェスにいってみるとか
ちなみにロックフェスはフリーフェスという形でお金を払わず参加できるものだってあるし。

ちなみにそれをしたからといって人生変わるかもなんて期待はしないほうがいいです。
稀に強烈な体験をして生き方が変わる人はいるかもしれませんが、本当に稀だと思います。

あくまで"きっかけ"として
あくまで"こんな世界もあるんだ"ということを知るため
あくまで"別の世界を感じる"ために

生活の中に未体験のものを取り入れてみる。

いかがですか?


トヨロックで発掘したイカしたアーティストを貼っときます。

コミュニケーション弱者流 自身のつけ方

今日は残業調整で早めに切り上げて、今は職場近くの居酒屋で一杯飲んでいます。

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今回はコミュニケーションについて書きたいと思います。

僕は物心ついたときから気が小さい小心者で人見知りが激しく、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションが上手に取れるタイプではありませんでした。
今はだいぶマシになりましたが、昔は特に女性は酷いもんでした。
また学校の初年度のように皆が一からの関係性を作る場よりも、元々できている輪に入るのが本当に苦手で、人よりも過度にストレスを感じてしまうタイプです。

よく言われるのは「優しい」「いい人」「真面目」

もちろんこれって悪いことじゃない。
だから自分の事を深く知っている人に言われるなら嬉しいんだけど、関係性が築けていない人に言われるのは本当に嫌だった。
これは心を固く閉ざしていて、上手く会話を盛り上げられない反面いつも嫌われないようにニコニコしてしまう自分のせいなんだけれど。

これはね、今もそうです。

だから中学後半からはあえて悪そうなメンバーとの関係ができていた。
昔は太っていていて女性に相手にされないのがコンプレックスだったのでめちゃくちゃダイエットしたし
仲間内でバンドを組んでドラムをめちゃくちゃ頑張ったりライブしたり(これはめちゃ楽しかったですが)
小1からフルコン空手をやっていたので一般人に負けることもないと思っていた。
お洒落な友達を見ながらファッションに興味も強かった。
高校の時には一時期クラスのアイドルみたいになった時もありました。自分の好きな子には好かれないタイプでしたが。笑
社会に出て辛い時期をたくさん乗り越えて先輩を抜いて上役になった。



でもね、全然自信つかないんですよ。

かつて憧れを抱いていたような環境、立場にいっても。

これっぽっちも自分は変わっていないんですよ。

なんでだろう。こんな自分は嫌だって思って、スピリチュアルにも手を出したり、自己啓発書を読みあさったり、セミナー行っても
一時良い気持ちになったり、良い話を聞けたとモチベーションがあがるんだけど

全然ダメなわけです。
根本的に自信のない自分のまま。
性は変えられない。

いくら外側を整えても
スキルを上げても
本質的な自己重要感には繋がらず
見える景色は変わらない。
苦しみは変わらない。

これは最近心底思いますね。


では、何故そういった状態になってしまうのか?
何故自己価値が低いままなのか?


それは、ありのままの自分を認めることができない。
自分本来の特性、やりたい事に、気づくことができていない。

これに尽きると思っています。

ありのまま、とは自分の場合
誰とでも仲良くなれなくて良い
良い人と思われなくて良い
スキルがなくても良い

と心底体感し、人としての価値とは何も関係がない、そんな自分に寛げる状態です。

思うに、外見ではなく本当に自己価値が高いなと自分から見て感じる人というのは、自信に根拠がないと感じます。

根拠がないからこそ、
他人に嫌われようが
他人に否定されようが
他人に認められなくても
自分の軸を持っているから影響されない。
何があっても自分は大丈夫と信頼しているから。
もちろん人間だから誰でも傷つくことはあるでしょうが、それでも軸はブラさない。

根拠(外的要因)なんていらないんですよね。
逆に根拠があるというのは、その根拠が揺らいだ瞬間、自信は崩壊します。

この世に本質的な正解なんてないんだと思う。
だからこそ自分を知り
自分のスタイルを作り
自分の信じる仲間と人生を歩んでいくことが
自分の人生を生きる事に繋がっていく。


ここまで分かれば次は
ありのままの自分を認めるには
どうすれば良いのか??
というところに行き着く。

両親のせいにする訳ではないが
僕の両親も同じように気の小さい良い人タイプだ。
自分に限らず、一旦身についてしまった固定観念を外すというのは簡単に外れるものではない。
言葉でいくら言い聞かせても、アファメーションしても変わる人は少ないんじゃないだろうか。

だからこそ
直向きに自分と向き合う必要がある。
精神解体するように、見たくもない臓物と向き合う必要がある。
今まで逃げてきた分、苦痛を伴っても向き合わなければいけない。

僕は今そんな段階。




迷い人がブログを書く理由

おはようございます。

山内です。


今までのエントリーを見て頂ければ分かる通り、僕は迷える旅人状態だ。

ではなぜ情報発信をしているかというと、一つは今まで自分が体験した経験や、自分が色んなメディアから得た情報を整理し、自分で考えて、文字に起こすことで自分の今の状態、位置を把握するためだ。また整理されることでまた問いが生まれ、どんどん自分と向き合う作業ができる。
だから文章が下手であっても、内容が定まっていなくても、自己満のオナニー記事であってもいいから発信しようと思った。

二つ目は、僕と同じように自分の人生を生きたいと思っている方々に対して、一緒に考え、何かしら気付けるようなものにしたいと思った。その為には定期的に配信をして、ブログのコンテンツを充実させなければいけない。

ざっくりとこんな感じだけど、これはコンテンツマーケターである長倉顕太さんの影響が大きい。
ブログや本を読み漁って、情報ばかり入れて、殆ど消化もできずにいた僕だったが、
このままではいけない。
もっと発信力をつけて、自分をブランディングしよう。
と思わせてくれた。

というわけで、これからもブログを書いていきつつ、自分なりのコンテンツを定めていきたいと思っている。