コミュニケーション弱者流 自身のつけ方
今日は残業調整で早めに切り上げて、今は職場近くの居酒屋で一杯飲んでいます。
今回はコミュニケーションについて書きたいと思います。
僕は物心ついたときから気が小さい小心者で人見知りが激しく、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションが上手に取れるタイプではありませんでした。
今はだいぶマシになりましたが、昔は特に女性は酷いもんでした。
また学校の初年度のように皆が一からの関係性を作る場よりも、元々できている輪に入るのが本当に苦手で、人よりも過度にストレスを感じてしまうタイプです。
よく言われるのは「優しい」「いい人」「真面目」
もちろんこれって悪いことじゃない。
だから自分の事を深く知っている人に言われるなら嬉しいんだけど、関係性が築けていない人に言われるのは本当に嫌だった。
これは心を固く閉ざしていて、上手く会話を盛り上げられない反面いつも嫌われないようにニコニコしてしまう自分のせいなんだけれど。
これはね、今もそうです。
だから中学後半からはあえて悪そうなメンバーとの関係ができていた。
昔は太っていていて女性に相手にされないのがコンプレックスだったのでめちゃくちゃダイエットしたし
仲間内でバンドを組んでドラムをめちゃくちゃ頑張ったりライブしたり(これはめちゃ楽しかったですが)
小1からフルコン空手をやっていたので一般人に負けることもないと思っていた。
お洒落な友達を見ながらファッションに興味も強かった。
高校の時には一時期クラスのアイドルみたいになった時もありました。自分の好きな子には好かれないタイプでしたが。笑
社会に出て辛い時期をたくさん乗り越えて先輩を抜いて上役になった。
でもね、全然自信つかないんですよ。
かつて憧れを抱いていたような環境、立場にいっても。
これっぽっちも自分は変わっていないんですよ。
なんでだろう。こんな自分は嫌だって思って、スピリチュアルにも手を出したり、自己啓発書を読みあさったり、セミナー行っても
一時良い気持ちになったり、良い話を聞けたとモチベーションがあがるんだけど
全然ダメなわけです。
根本的に自信のない自分のまま。
性は変えられない。
いくら外側を整えても
スキルを上げても
本質的な自己重要感には繋がらず
見える景色は変わらない。
苦しみは変わらない。
これは最近心底思いますね。
では、何故そういった状態になってしまうのか?
何故自己価値が低いままなのか?
それは、ありのままの自分を認めることができない。
自分本来の特性、やりたい事に、気づくことができていない。
これに尽きると思っています。
ありのまま、とは自分の場合
誰とでも仲良くなれなくて良い
良い人と思われなくて良い
スキルがなくても良い
と心底体感し、人としての価値とは何も関係がない、そんな自分に寛げる状態です。
思うに、外見ではなく本当に自己価値が高いなと自分から見て感じる人というのは、自信に根拠がないと感じます。
根拠がないからこそ、
他人に嫌われようが
他人に否定されようが
他人に認められなくても
自分の軸を持っているから影響されない。
何があっても自分は大丈夫と信頼しているから。
もちろん人間だから誰でも傷つくことはあるでしょうが、それでも軸はブラさない。
根拠(外的要因)なんていらないんですよね。
逆に根拠があるというのは、その根拠が揺らいだ瞬間、自信は崩壊します。
この世に本質的な正解なんてないんだと思う。
だからこそ自分を知り
自分のスタイルを作り
自分の信じる仲間と人生を歩んでいくことが
自分の人生を生きる事に繋がっていく。
ここまで分かれば次は
ありのままの自分を認めるには
どうすれば良いのか??
というところに行き着く。
両親のせいにする訳ではないが
僕の両親も同じように気の小さい良い人タイプだ。
自分に限らず、一旦身についてしまった固定観念を外すというのは簡単に外れるものではない。
言葉でいくら言い聞かせても、アファメーションしても変わる人は少ないんじゃないだろうか。
だからこそ
直向きに自分と向き合う必要がある。
精神解体するように、見たくもない臓物と向き合う必要がある。
今まで逃げてきた分、苦痛を伴っても向き合わなければいけない。
僕は今そんな段階。