山内ブログ

(´ρ`)

苦しみの果てには

苦しい時ってある。


苦しくて苦しくてどうしようもなくて

怖くて怖くてどうしようもなくて

どんどん行動力もなくなって

なんの意欲もなくなって

胸に変な重苦しい感覚だけが常に突き刺さり

ただ恐れだけが残る。


「あの人にこんな風に思われる」

「社会的にありえない」

「世間から見放される」

「誰も見方がいなくなる」


そして最後には

自ら命を絶ちたいとさえ考える。


でもやっぱり死ぬのは怖いし

死んだ後に残す人達のことだって考えてしまう

自分が死んだ後のことまで、

「自分が他人にどう思われるか」なんて考える。


マジで、いつまで【いい人】やってんだ。


嫌われたくないからだよね。

責められたくないからだよね。


「苦しみ」ってどこからくるんだろう。

それは、
自分以外の
誰かを生きているからじゃないかな。

 

自分本来の感性
自分本来の衝動
自分本来の姿は

 

他人の目、社会の目で
無意識的にかき消されてしまい
思い出せなくなる。
本来それは実態のないものなのに。

 

そしてそこからはみ出てしまったり
もしくは、抜けだそうとすると。
とてつもない苦しみが押し寄せる。

 

こびりついてるから。
洗脳されてるから。
それを外すというのは
それはもう自殺をするくらいのもんなんじゃないかな。

 

今までこの社会を生きてきて
積み上げてきた自分を
ぶっころしてやる。

 

それくらいのこと。

 

生半可のことじゃない。

 

他人というマトリックスから目覚めて

 

初めて自分の感覚を取り戻す。

 

自分を生きだすんだ。


そしてこれは全部

自分に向けて書いていること。